2020年2月11日、野球界を長く支えていた野村克也監督が亡くなったとの訃報が流れてきました。
愛妻家として知られていた野村監督。
死因も妻のサッチー(沙知代)さんと同じ「虚血性心不全」だったことで、最後まで仲良しだと言われています。
ここでは、野村監督とサッチーさんがどのように出会い、愛を育んできたのか、馴れ初めを調査したいと思います。
目次
野村克也監督とサッチーの馴れ初めは不倫?
野村監督とサッチーさんとの出会いは不倫だったと言われています。
これは本当なのでしょうか?
出会い
野村監督とサッチーさんの出会いは1970年8月、野村監督35歳、サッチーさんは38歳の時でした。
当時、南海ホークスの選手兼任監督だった野村さんは試合で東京を訪れており、試合終了後、後楽園球場近くの中華料理店にある行きつけの中華料理店でサッチーと相席になったのがきっかけなのだとか。
野村監督がマネージャーと一緒に食事をしていたところに、
『ママー、お腹すいた』
とサッチーさんが入って来たんだそうです。
なんとなく想像できますね。笑
そして何故かお店のママに紹介されたとのこと。
『ママー、お腹すいた』って入ってきたんですよ。
何を思ったのか、そこのママが『いい人紹介してあげる』って紹介されたのが最初です。
引用元:livedoorニュース
野村監督がサッチーさんに抱いた第一印象はというと、
当時、シングルマザーとして2人の男の子を育てていた沙知代さん。
「ずいぶんしっかりした人だなあって思ったのが最初よ」
引用元:ヤフーニュース
この時、野村監督はまだ前妻の正子さんと離婚訴訟の真っ最中でした。
前妻の正子さんとの離婚の原因は、正子さんの浮気と言われています。
ただ、まだこの当時、野村監督と正子さんの離婚は成立していなかったので、関係が終わっていると言えどサッチーさんとは“不倫“ということにはなってしまいますね。
野村監督とサッチーはW不倫だったという噂も?!
前出のヤフーニュースの記事では、出会った頃のサッチーさんはシングルマザーだったということですが、サッチーさんも実はまだ離婚は成立していなかったという情報もありました。
サッチーの前夫、アルヴィン・エンゲルさんとの離婚が成立したのは1976年とのこと。
これが事実なら、野村監督とサッチーが出会ったのが1970年ですから、そこから6年もの間、不倫をしていたということになりますね。
しかも2人の息子、野村克則さんが生まれたのは1973年。
まだお互いに離婚が成立しないまま、息子さんが誕生されていることになります。
出会った当時にシングルマザーだったのかまだ離婚が成立していなかったのか、真相は謎ではありますが、なかなかにドラマのような展開です。
その日に結婚を決意したサッチー
話は出会いの時に戻りますが、野村監督と出会ったその日、サッチーさんは息子の団氏・ケニー氏に電話をしたそうです。
沙知代さんは当時小学生だった長男・団氏、次男・ケニー氏に電話で連絡。
「野村さんて知ってる?」と尋ねたところ、ダン氏は「すごい人やで!」と驚嘆。
この言葉で沙知代さんはその場で結婚を決意してしまったという。
引用元:Sponichi Annex
子どもに「すごい人やで!」と言われ、結婚を即決してしまうサッチーさん。
サッチーもすごい人ですね。笑
野村氏は
「やっぱり女性ですから、自分の子供とうまくいくか重点的に考えたと思う。
この人なら子供らとうまくいくだろうと」
と分析。
沙知代さんの即断については「性格的にせっかちですから、何でも早い」と当時を懐かしむように笑った。
引用元:Sponichi Annex
サッチーさんには、なにかビビッとくるものがあったのかもしれませんね。
サッチーの「略奪愛」は誤解だった!
まだ野村監督の離婚が成立していないまま出会った2人。
サッチーさんのために前妻の正子さんを捨てたのでは?と言われたこともあったそうです。
また「夫婦っていろんな縁がある」と苦笑い。
当時は前妻との離婚訴訟中だったが
「誤解もあった。
沙知代さんを好きになったから、前の奥さんを捨てたと思ってる方もいらっしゃるけど、全く関係ない」
と説明した。
引用元:Sponichi Annex
そもそも正子さんとの関係も終わっていて、離婚訴訟の最中だったので、正子さんの気持ちもすでに野村監督から離れていたと思われます。
(ましてや離婚原因が正子さんの浮気とのことなので・・・)
なので“略奪愛“ということではなさそうですね。
1978年野村監督の離婚が成立、3ヶ月後に再婚!
1968年から10年間も、ずっと別居状態が続いていた野村監督ですが、1978年の1月についに離婚が成立します。
そしてサッチーさんとは1978年4月に再婚。
わずか3ヶ月後に再婚、ずっとこの時を待ってたのかもしれませんね。
こうして野村監督とサッチーさんの新たな人生が始まっていきました。
野村克也監督が南海ホークスをクビになった理由はサッチー?!
当時は、南海時代のオーナーから
「君は野球を取るのか女性を取るのか、どうするんだ」
と迫られたとしたが、
「伊藤沙知代は世界に一人しかいませんから女を取ります」
と夫人を選択。
「カッコイイことを言っちゃった。それで南海とサヨナラしたんですけど。クビ宣告されましたから」
と苦笑いを浮かべた。
引用元:livedoor NEWS
南海ホークスの現役選手だった当時、野球か女性かを迫られたという野村監督。
そこでサッチーを選択し、南海ホークスをクビになったとご本人がおっしゃっています。笑
それだけ『この人!!』と思える相手と出会えたということなのでしょうね。
野村克也監督からサッチーへのメッセージが泣ける
以前、サッチーが亡くなった直後に出演した「徹子の部屋」で、野村監督はサッチーさんへのメッセージとしてこんなことを言っていました。
番組の最後で司会の黒柳徹子(84)から「沙知代さんに伝えたいこと」を問われた野村氏は
「ちょっと早いよ!
あんだけ言ったのになんで待ってないんだ。
おれより先に逝くなよ。
これだけは守ってほしかったなあ…」。
しみじみとボヤいて締めくくった。
引用元:Sponichi Annex
まとめ
野村克也監督とサッチーさんの馴れ初めをまとめました。
結婚するまではすんなりとはいえないお2人でしたが、その後はいつまでも仲良しで素敵なご夫婦でした。
運命のお2人という感じですね。
野村監督が、今頃サッチーさんと再会できていますようにと祈りながら、ご冥福をお祈りいたします。
それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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