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チェッカーズの解散理由は?抜けたいと言ったのは誰?藤井フミヤと高杢禎彦の確執が原因とも

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1980年代に大人気だったバンド「チェッカーズ」。

ボーカルの藤井フミヤさんをはじめ、7人のメンバーで結成された「チェッカーズ」は、数々のヒット曲を輩出しました。

その人気はアイドル級。

特に藤井フミヤさんの人気ぶりはすごいものがあり、藤井さんが結婚した時は涙に明け暮れたファンも多かったようです。

その人気絶頂のバンドがなぜ解散をしてしまったのでしょうか?

その理由に迫っていきたいと思います。

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チェッカーズの解散理由は?

 

1983年のデビューからシングル10曲目までは、自作曲を発表していなかったチェッカーズのメンバー。

それが1986年に発表した「NANA」以降の楽曲からは、藤井フミヤさん・藤井尚之さんを中心に、すべてメンバー作詞作曲の曲となりました。

そしてその頃から、徐々にメンバーのソロ活動が始まります。

藤井尚之さん、高杢禎彦さん、鶴久政治さんが主にソロ活動をしていたようですね。

そうしてだんだんとそれぞれのソロ活動が忙しくなり、チェッカーズの活動時間を確保できなくなってきたことが、解散の始まりと言われています。

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チェッカーズを抜けたいと言ったのは誰?

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チェッカーズを抜けたいと言ったのは、藤井フミヤさんのようです。

藤井フミヤさんが「チェッカーズを脱退したい」とリーダーの武内亨さんに相談し、その後メンバーでの話し合いが行われ、解散に至ったとのこと。

以下は、過去にメンバーの鶴久さんが語っていた内容です。

「91年10月くらいだったかな、メンバーのひとりが『やめたい』と事務所に言いにいって、7人で話し合いをする機会があったんだけど、そのメンバーは、今度は『解散したい』って言葉に置き換えたんです。

(中略)その後、残りの6人が3対3に分かれて、『解散する』『いや、しない』という議論が続いたけど、結局事務所の人が間に入って『ひとりが抜けても、続けていけるのか?』と。

それで、解散を認めざるをえなくなったんです」

(「サイゾー」<サイゾー/2004年12月号>より)

引用元:Business Journal 

解散を望んだメンバーと、続けることを望んだメンバーが2つに分かれてしまい、話し合った結果、解散することになったと・・・。

ちなみに「解散派」は藤井フミヤさん・尚之さん・武内享さん、大土井裕二さん、

「続ける派」は高杢禎彦さん・鶴久政治さん・徳永善也さんだったそうです。

藤井さんがなぜチェッカーズを抜けたがったのか、解散したかったのかは世間に発表されてはいないのですが、スタッフやファンの間では、メンバーの高杢禎彦さんとの確執が原因だとも言われています。

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チェッカーズの解散は、藤井フミヤと高杢禎彦の確執が原因とも

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ここで、高杢さんがソロ活動をし始めた頃の情報がありましたので、掲示します。

高杢はソロ活動を開始する。
高杢と鶴久がソロ活動で忙しくなり(89年辺り)、
チェッカーズはレコーディングすらままならないこともあった。(忙しくなったと言っても、高杢のソロコンサートは3列目までしか埋まらなかったのだが。事実)

メンバーの心が徐々に離れていったのはこの辺りではないだろうか。
89年12月発売の「Friends&Dream」は、フミヤが高杢を思って書いた曲だとも言われている。

引用元:シエ藤さんブログ

忙しくなったメンバーがいて、チェッカーズとしての活動が難しくなってきた・・・

そこからメンバーの間にヒビが入ってしまったのでしょうか。

藤井さんが高杢さんを想って書いたのでは?と言われる「Friends&Dream」は、子どもから大人への変化を歌っていますが、どこか切なさを感じますね。

解散してから11年後、メンバーだった高杢さんは自伝的エッセイ集『チェッカーズ』を出版しています。

その内容は暴露本とも思える内容だったと言います。

 結果、’92年にグループは解散したのだが、解散の本当の理由は、フミヤと高杢の確執にあった。

それは’03年に出版された、高杢が書いた自伝的エッセイ集『チェッカーズ』で明らかになる。

「高杢はフミヤが一方的に解散を決めたことが不満で、グループは解散派と解散否定派に分かれました

しかし解散してしまったことで、溝ができたのです。

本には金銭問題なども書かれていて、まるで暴露本でしたね。

これにはフミヤが激怒したといいます」(芸能プロ関係者)

引用元:msn

この情報が本当だとすると、解散をしたいメンバーと解散したくないメンバーに、グループが二分されてしまったとのこと。

特に高杢さんは「解散したら、誰もメシ食っていけない」と、続けることを強く望んだと言われています。

そうして意見が割れたまま、解散に至ってしまったそうです。

徳永善也さんの「お別れ会」で確執が決定的に

それから後、メンバーの徳井さんが病気で亡くなってしまい、その「お別れ会」で2人の確執が一層顕になってしまったようです。

その後、メンバーのひとり、徳永さんが亡くなり、『お別れの会』の発起人からフミヤと対立していた高杢と鶴久が外されたことにより、両派は完全に分裂、溝はさらに深くなった。

引用元:msn

情報によると、徳永さんの「お別れ会」の発起人は藤井フミヤさんや尚之さんらでしたが、7~8年間会っていなかった高杢さんや鶴久さんは外されてしまい、溝が一層深まってしまったとのこと。

この発起人に関しては、諸説あり、真相は明らかではありません。

いずれにせよ、チェッカーズは深い溝で分裂されてしまったというのは事実のようです。。

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まとめ


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チェッカーズの解散理由についてまとめました。

解散の理由や徳井さんのお別れ会などについては様々な情報があり、真実を見極めるのはとても難しいです。

ですが、どの情報にも共通していたのは、

チェッカーズ活動中に、メンバーのソロ活動が忙しくなってしまった、

なんらかの理由で、藤井フミヤさんが抜けたい・解散したいと言った、

意見が分かれたまま和解できなかった、

ということ。

この3つは信憑性が高そうです。

名曲をたくさん世に出してくれたバンドが解散・・・は寂しいことですが、チェッカーズが残してくれたものは大きかったですね。

いつまでも受け継がれていってほしいと思います。

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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