黒板やホワイトボードを使ったお色気医事漫談で知られるケーシー高峰(たかみね、本名門脇貞男=かどわき・さだお)さんが、
8日午後3時35分、お亡くなりになりました。
医事漫談の第一人者として、半世紀以上にわたって活躍したケーシー高峰さん。
俳優としても渋い演技で数多くの作品を彩り、マルチタレントの草分け的存在でした。
今回は、ケーシー高峰さんの死因となった肺気腫調べるとともに、どこの病院で亡くなったのか、また過去に乗り越えた舌癌エピソードについても触れていきたいと思います。
目次
ケーシー高峰旅立つ…死因の肺気腫とは?
エロ漫談が有名なケーシー高峰さん。
過去には友近さんをナースに、2人でネタを披露したこともありましたね。
下ネタ連発なのに、それほど下品でない漫才は、聞いていてとてもおもしろいものでした。
そんなケーシー高峰さんの死因となったのは、“肺気腫”だそうです。
では、肺気腫とはどんな病気でしょうか?
▽肺気腫 酸素と二酸化炭素の交換を行う肺胞の組織が壊れ、肺にたまった空気を押し出せなくなる病気。
タバコが一番の原因とされるが、喫煙をしていなくても発症することがある。
息切れ、せきなどが主な症状。
薬の服用や酸素の吸入などが主な治療法で、禁煙や適度な運動が必要。
一度壊れた肺胞は元には戻らないため、治療で進行を抑え、症状を改善することしかできない。
なるほど・・・タバコが主な原因なんですね。
ではケーシー高峰さんはタバコを吸っていたのでしょうか?
ケーシー高峰はタバコを吸っていた?
こんな記事を見つけました。
ーーーー横浜中法人会のインタビューにてーーーー
──医学的見地の健康法は?
ない、ない。暴飲暴食。タバコも止めろって言われたけど吸ってる、ピースね。みんな平和になるように(笑)。
でも、おならが出るんだ。へーわ出るって(笑)。
酒は飲めなくなった。ビールならコップ1杯でアウト。
前は(出身が)山形ですからね、一升酒飲んでた。
いまは宴会はほとんど出ないです。それが健康法なのかな。
夜はほとんどご飯食べない。こんなに太ってるから、その方がいいね。
ゴルフもできない。脊柱管狭窄症やってるから。
引用元:横浜中法人会HP
また、古くからの知人の方が
「若い頃から愛煙家。肺を悪くしていたようだ」
と明かしているようです。
どうやらタバコを吸っていたのは間違いなさそうです・・・。
やはりタバコが大きな要因である可能性が高いですね。
ケーシー高峰が入院していた病院はどこ?
ケーシー高峰さんが最後に入院していた病院は、“福島県いわき市内の病院”だそうです。
調べてみると、大きい病院がたくさん出てきたので、特定は難しかったです。
おそらく総合病院なのではないかと考えると、いわき市医療センターや国立病院機構いわき病院あたりかもしれませんね。
ケーシー高峰の舌癌克服エピソード
過去にケーシー高峰さんは、舌がんを早期発見し、完治させていました。
発見のきっかけ
もともと医者を目指していたケーシーさんだけに、ご自分の舌にできた1ミリ程の白い粒を見て、
『がんに移行する白板症だ』
とすぐにわかったのだそうです。
その1年くらい前から、何を食べても旨みが感じられないから気にはなっていたと言います。
医学を勉強した人ならではの知見は、あっぱれですね。
その後、大学病院で検査を受けたところ、やはり舌がん。
その時のことを、ケーシーさんはこう語っています。
「予想していたし、初期だからね。治りも早い」
やはり冷静です。笑
そして手術からなんと3日後には舞台に立っていたのだとか…。
もちろん話せないので、黒板で手術の説明して『おぼん・こぼん』のお2人に台詞を話してもらうという、すごいアイデアで、会場は大ウケだったそうです。
本当にたくましいケーシー高峰さん。
その後もリハビリを重ね、驚異的な10日というスピードで普通に話せるようになったとか。
病院内で、医者や看護婦を捕まえては、ネタを披露していたのもいいリハビリになったと、ご本人がおっしゃってました。
舌癌に対しては、こんなに素早い判断とリハビリで克服したのに、タバコが止められなかったのは悔やまれますね…。
ネットの反応は?
偉大なるケーシー高峰先生が天国へ
大好きだったなぁ
放射能の原産地、いわき市よりやってまいりました。皆様方に放射能をお分けしたいと思います、白衣をバサバサと払った
ウィットな毒舌が忘れられないなぁ魂よ安らかに
グラッチェ!
— EDGE (@Edge510) April 9, 2019
ケーシー高峰先生のご冥福をお祈りいたします。や、ここはこういうべきか。グラッツェ。
— みなもりゅうぞう (@dj_minamo) April 9, 2019
こちらは落語家の立川志らくさん・・・。
ケーシー高峰先生が亡くなられた。寂しい。昭和の漫談の爆笑王。談志がケーシー高峰の後だけは高座に上がれねえ、と言っていた。あまりにウケすぎて落語をやれる空間ではなくなってしまうのだ。晩年、私も可愛がっていただきました。合掌、いやグラッチェ!
— 志らく (@shiraku666) April 9, 2019
なんとも素敵なエピソードです。泣けますね・・・。
ケーシー高峰先生、お亡くなりになったんですね。昭和9年生まれは先日亡くなった父親と同い年。
子どもの頃から楽しませていただきました。ありがとうございました。グラッチェ!— たかはし (@DetchLove63) April 9, 2019
https://twitter.com/7777lucky7/status/1115772096351629312
ケーシー高峰が令和にいてくれないのがつくづく寂しい。追悼放送しにくそうなのも寂しい。
— にゃきこ (@akooooon) April 10, 2019
ケーシー高峰死んじゃったのかー(泣)悲しい…大好きでした。
— ハンター (@kanlovehunter) April 10, 2019
ケーシー高峰。悲しいよ。あなた死ぬんだね……
病に倒れてから復帰したときは嬉しかった。
寄席には出ない人だから、私はたいていNHKの「真打ち競演」なんかで聴いてた。笑わされてしまうんだよね。で、ラジオに一人つっこんだりしてた。くだらねー(歓喜)とか言いながら。ケーシーさん、ありがとう。— いぬ (@Nap_Lost) April 10, 2019
https://twitter.com/mushiroku/status/1115770492592349184
まとめ
舌癌からの復帰後に
「タン(舌)キュー・べろマッチ」
「顔は悪性です」
と冗談を飛ばし、自らの病気さえネタにしていたケーシー高峰さん。
いつまでも冗談言って、生きていてほしかったですね・・・。
医学部をやめた時に母親に勘当されたが、医事漫談を始めた理由こそ
「医者にはなれなかったけど、白衣を着て親孝行をしたい」
という思いからだった。
というエピソードも泣けます。
親孝行。十分にできたのではないでしょうか。
ケーシー高峰さん、あちらでも元気に楽しく漫談してくださいね。
グラッチェ!!
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